都会のマグロ

マグロは泳ぎ続けないと死んでしまう。東京に暮らす私はさしずめ都会のマグロ。スマホを手にし、ファストフードという餌を食べ、目を瞑りながら夜まで泳ぎ続けている。

いわゆる人間らしい生活に比べると、さしずめマグロらしい生活だ。その結果、何を得ているのだろう。

都会で泳ぐのを止めたらどうなるのだろう。酸欠という名の、貧困が待っているのか、それとも物質的な豊かさを満たせず、精神がもたなくなるのか。

IT化は、時間と場所の概念を超えるんじゃなかったのか。なぜ、結局都心の円形プールの中で、毎日夜中まで、目を瞑りながら泳ぎ続けているのか。

私はマグロではない。ないはずだ。