ヒトラーとタブー

帰ってきたヒトラー
この本のことをどこで知ったのか。まだ、日本での発売が決まる前、ドイツで話題の本として見かけたのが最初だ。見た瞬間から、見たい!やられた!とはっきりとした欲求にかられていた。

本の内容はここでは書かないが、とにかく読んで後悔無し、痛快であり、考えさせられる一冊となっている。

ヒトラーが、この世界最大の悪役であり、微塵たりとも肯定されるのが許されない社会であることは疑う余地はない。この本では、そんな常識を、風刺だからという理由でくぐり抜け、"危ない橋"を見事に渡り切っている。

うまいのは、ヒトラーの歴史を肯定する表現はないながら、現代人なら思わず共感してしまう現代社会の矛盾を突くことで、ヒトラーの功績を感じさせている。

とはいえ、ユダヤ人に関する表現は、さらに慎重にならざるをえない。著者は、最後まで否定も肯定もしていない。議論をずらすこと、話を変えることで、結論を出すことを避けている。それが、この本を、エンターテインメントとして面白いものにさせているポイントと言える。ユダヤ人について言及しないことが得策、という点については、この本の中のヒトラーは妙に理解が早い。笑える。

ナチスヒトラーについて一定の知識が必要、と紹介されている書評も多いが、まずは娯楽小説として読んでもらい、読み進める中で、なぜ、今も多くの人がヒトラーを完全悪として敵視しているのか、それが気になるようならそれから調べれば良いだけのことである。歴史の検証はいくらでもされている。それこそ、戦勝国の手で。

戦後60年が立ち、この本が出たことに大きな前進を感じる。ナチスを肯定するわけではない。この小説の登場人物も、ヒトラーの過去を誰も賞賛していない。ただ、過去を否定することだけで成り立つ社会が必ずしもいい社会ではなく、新しい問題もたくさんあるはずなのに、そこに立ち向かう人はおらず、皆目をつむって、自堕落な社会になっている、と警鐘を鳴らしているように感じる。そう、この小説は風刺小説であるが、その風刺の対象は、実は現代でもある。それがこの本の魅力であり、多くの共感を呼んだ理由であろう。

そして、ヒトラーという人間のパーソナリティをどう表現するか。きっとこの本の翻訳は大変な苦労をされたはず。様々な映画などで、ヒトラーは描かれている。パブリックイメージのヒトラーでは、この小説は成り立たない。映画ヒトラー最期の12日間を見た人は、あの強烈なパーソナリティが印象ついているだろう。あのままでは、現代社会でもすぐに牢屋行きだ。かといって、いきなり善人のようになっては、ヒトラーではない。会話の一つ一つに気を使い、この本の面白さを高めることに成功した、今回の翻訳は見事と言える。

上下巻に分かれ、ボリュームもあるが、一読に値する書籍だ。ちなみに価格も高いが、Kindleで買うと、かなり安くなるのでそちらも是非。